Zure Zure 日記

瑣末な日常を Zure た視線でやぶにらみ

中国雑感

というワケで ヾ(^^;ドーユーワケダヨ

7 月 4 日から 8 日まで中国に行くコトになりました(笑)

久々の添乗であります。



ワタシが以前の団体営業だったころからずっと使ってくれてるお客さんたちで、もうこの人たちとは何回行ったろう…

たぶん 15 ~ 6 回は行ってると思うんですけどネ。



今回は中国の名山のひとつに数えられる廬山と、陶磁器の都・景徳鎮がメインとなるコースで、ワタシャふたつとも行ったコトないんで、個人的にもちょっと楽しみだったりします。



もうこれで何回めですかネ… 中国行くの…

ぼちぼち 3 ケタになるかと思うんですが、ワタシが前に働いていた旅行会社の社長はすごかった。

添乗回数 数百回だもんネ(笑)

何せ 「代表取締役添乗員」 っつうぐらいで(笑)、経営者としての資質はともかく営業的には神様みたいな人だった。

中国旅行業界でも非常に有名な人であり、今でも 「昔は○▲社長のもとで仕事してました」 というと、業界の古株からは 「オオッ!」 と驚かれ、 「○▲社長のことは今でも尊敬してるっす。うっす」 などとよく言われます。



そんな社長のもとで働いたのが約 5 年。

普通の、いわゆる 「観光」 とはまったく毛色の違ったツアーが多く、その意味では実に貴重な体験をさせてもらった 5 年間でした。

小さい会社だったんで、結婚の時はその社長夫妻に仲人をしていただき、んでその年に会社辞めちまい、恩を仇で返しちゃったという(笑)



でも社長に辞意を表した時、

「お前の道はお前が決めろ」

と一言だけ。

それで呑みに連れて行ってくれました。

まだ 20 代だったワタシは、こんな人になりたいと思ったもんす。



中国語を勉強してたコロの友人には、やはりその特技のせいか旅行会社に就職したヤツが結構いました。

もっとも一番人気は商社で、何を隠そうワタシも北京の大学を出てから一番最初に就職したのは商社でした。



中国専門の商社で、もうとにかく忙しかった。

残業なんてのは当たり前で、始発→終電 始発→終電の毎日。

そのころは実家から通っており、会社までは 1 時間弱ぐらいだったんで、通勤そのものはたいして苦にはなりませんでしたが、とにかくコキ使われたし、その分、先輩たちによく呑みに連れて行ってもらいました。

赤坂とか銀座のクラブで夜明けぐらいまで呑んで、それで 「タクシーで帰れ」 とかって 3 万ポンともらったり(笑)

ちょうどそのころは今の女房とはつきあいが切れてた時期だったんで、彼女もいず(笑)、ひたすら会社行ってた記憶しかありません。

んで、 1 年ぐらいたってから 「北京駐在員に出される」 というウワサを聞き、もうちょっと日本にいたかったワタシはそれで会社辞めました(笑)



いつだったか、北京空港でばったりとその当時の先輩に出っくわし、 「オマエが辞めちゃったから、オレが駐在に出されたんだゾ」 とかって言われ(笑)、お詫びがてら呑みに行ったという(笑)



意外なコトに中国には、日本のような居酒屋とか小料理屋とかいうような、 「ちょっと一杯」 という店がありません。

で、中国人はドコで呑むのかと言うと、レストランで呑む、つまり 「呑む」 より 「喰う」 方のウエイトが高いんですネ。

よく日本人は 「今度呑みにいきましょうヨ」 とかって言いますけど、中国人はまったくその感覚で 「今度メシでも喰いに行きましょう」 ってなるんですネ。

んでメシがぱがぱ喰いつつ、酒ぐびぐび呑むという、実にワタシ好みのシチュエーション(笑)



最近ではカラオケで呑むコトも多いようです。

カラオケといっても、中国の場合はほとんどが個室、それもかなり広い部屋で、たいていは何人かオネエチャンがつきます。

つまりはカラオケボックス+キャバクラみたいなノリなんですが、ほとんどのオネエチャンはお持ち帰り可(笑)



前に出張で行った時。

ワタシ、現地の代理店の担当者、その代理店のマネージャの 3 人で呑みに行ったんですが、行った先がそのマネージャの友だちの店。

何だか 30 坪ぐらいありそうな広くて豪華な部屋に、 3 人だけポツンと置かれたかと思うと、どやどやと 30 人ばかり女の子が入ってきまして(爆)、それはそれはスゴかった。

どうやっても釣り合いが取れるワケはなく、その気満々(笑)で行ったものの、かえって毒気を抜かれてしまったという(笑)



しかし中国も変わったモンです。

北京の大学にいたころ。

よく添乗で行かされてたころ。

そして今。



特に沿岸部の都市は変貌の度合いが甚だしく、 「中国にこんな店が!」 とか、 「こんなモンが売られてるぅ」 みたいな ヾ(^^;消費面シカ眼ニツカナイノ

でもそれとうって変わって、内陸部や山間部などは昔と全然何ぁ~んにも変わってないところがたくさんあります。



以前は 「内外格差」 という言い方があり、つまり中国と諸外国との経済的な格差のコトで、そのため中国には 「外国人料金」 という二重価格制度、そして 「外貨兌換券」 という二重貨幣制度が存在していました。

この 「外貨兌換券」 っつのがけっこうクセモノでありまして、中国に持っていった日本円とかアメリカドルを、現地通貨である 「中国人民元」 に両替するのですが、この時に渡されるのが 「外貨兌換券」 です。

通貨単位は人民元と同じく 「元」 であり、建前上は 「人民元」 とまったく同様に使えるコトになってますが、実際は外国人が泊まるようなホテル、あるいは国が指定した外国人用のデパートとかレストランでしか使えません。

なので観光地をめぐるようなツアーの場合は、特に不便もないんですが、上述したように観光目的ではない、何か特別な目的で僻地にいくような場合は、ほとんど使えません。

兌換券で支払おうとしても、



「ナニ、コレ ( ・ω・)」



みたいな顔され、突き返されたり(笑)



ややっこしいコトに、兌換券でしか買えないモノとか兌換券、人民元両方で買えるが価格が違ったりするケースも多々あり、特に輸入品の電化製品なんかはその最たるモンでした。

日本製のテレビが買えるだけの人民元を持ってるのに人民元では輸入品が買えないとか、当の中国人にしてみれば何だかバカにされたような話しですよネ。



が…



転んでも絶対にタダでは起きない中国人(笑)



兌換券と人民元を不法で交換する、つまり闇両替が流行りだしました。

観光地でスタンバイしていて、それらしい外国の旅行団体がくると何気なく近寄り、小声で

「 Change Money ?」



つまり、アナタが持ってる兌換券とワタシが持ってる人民元を交換しませんか? っつうコトで、もちろんプレミアムが付きます。

ワタシが知ってる限りでは 1.9 倍という時期もありまして、つまり 100 元の兌換券が 190 元の人民元にバケるワケっす。

しかし一般の観光客が人民元持ってても、使い道がないんですよネ。

外国人旅行客が泊まるようなホテルとかレストラン、デパートでは人民元は受け取ってくれないから。



そうとは知らずにうかうかと闇交換しちゃったお客さんに泣きつかれたコトもたびたび。

もちろんバスの中や、朝出発する時に 「絶対に交換しないでくれ」 と注意をするのですが、それでも替えちゃうのは悲しい人間の性か。

まぁワタシの場合は人民元でも、何やかんやで使っちゃうんで、相当額の兌換券と交換したりしてましたが、そうすると今度は帰国後の精算が実にややっこしい(泣)

中国元は兌換券だろうが人民元だろうが、日本に持って帰ってきちゃったら日本円に再交換できないんで、とにかく中国出国後の空港内銀行で再両替するしかありません。

特に帰国日なんかは時間に余裕を持って空港に行ったりするんですが、道が渋滞してたり迷子になったお客さん探したりとかしてるウチにどんどん時間が過ぎ、そーゆー時に限って 「添乗員さぁ~ん… 実はオレ人民元たくさん持ってんだけどさー キミ、両替してくんない?」 とかって言われ、



もっと早く言わんかい (`ω´)


で、日本円に戻せないまま大量の人民元を持ち帰るハメになり、まぁいいや… 次の添乗の時に消化しちゃえ… などと納得したはいーが、会社への精算を人民元でするワケにもいかず(笑)、結局その分は自腹切るコトに。

そんなんが重なると、けっこうな金額になります。

中国元は下がるコトはあっても、上がるコトはないカネなんで(笑)、そのレート差だけでもけっこう損してるよナァ~ オレ…



北京の大学にいる時も、原則は兌換券で生活するワケですが、留学生の学生証見せると学割が利くコトもたくさんあり、そーゆー時はなぜか人民元での支払いになります。

つーコトは、兌換券と人民元と両方が必要になり、日常生活の上では人民元での支払いが圧倒的に多かった。

だって外国人旅行客が泊まるようなホテルには行かないし(行けないし?・笑)、メシは学食だし、中国人の友だちと遊びに行ったって、割り勘で払う時は人民元だしネ。



というワケで、学生の時はずいぶんと闇両替のお世話になりました。

場所も決まっており、当時、北京市内では 「建国門」 というあたりが闇両替のメッカでした。

ここは東京で言えば六本木のような場所で、ワタシのような不良外人がたくさん(笑)



最初のコロは失敗したヤツもたくさんいました。

何せ 「不法行為」 なんで、レートの交渉が決まればサッと交換しあう。

路上で札びら数えられるほど平和なトコじゃないし、第一そんな現場を公安なんかに押さえられた日にゃぁ眼も当てられません。



大量に交換してしめしめと思って、帰ってからカネみてみたら半分は新聞紙だったとか、そんな眼に遭ったヤツもけっこういました。

が、だんだん場を踏み(笑)、こっちも慣れてくるといつしか闇両替屋たちとも顔なじみになり、常に同じヤツと交換するコトになります。

信頼関係ができるワケですネ。

当時の北京の闇両替屋は、なぜかウイグル人たちが多く、中央アジア特有の彫りの深い顔立ちのウイグル人のにいちゃんとよく替えてました。

一度だけそいつらとメシ喰いに行ったコトがあるんですが、その時に前から不思議に思ってたコトを聞いてみました。



「アンタらさー そうやって不利なレートで兌換券手に入れて、それでもうかるワケ?」

「これでナ、兌換券でしか買えない日本製のカラーテレビとか裏ルートで買うワケよ。日本のテレビが欲しいってヤツは山ほどいるから、完全に売り手市場なんでネ、まぁボロもうけだネ」

「んじゃぁ今日はオゴってください。ごちそうさまでした」



(笑)



しかしそんな闇両替もいつしか下火となり、兌換券も 10 年ぐらい前に廃止になりました。

廃止されちまったら、手元に大量に残ってた兌換券もタダの紙切れになっちゃうんで、アタシャもう次の添乗ん時には、お客さんそっちのけで銀行行って、日本円に戻してきましたヨ(笑)

確か 10 万ちょいぐらいになったと思うんですが、これだけ一挙に返ってくると非常にトクした気持ちになりますが、でもこれってオレが自腹切って立て替えてた分が返ってきた、っつうダケの話しなんですよネ(笑)



中国の経済発展に伴い、中国添乗もだいぶ楽になってきました。

一番助かるのは、ホテルとかバス、道路とかそうした社会的なインフラが整ってきた、っつうコトですネ。

昔はシルクロード方面への添乗が一番ツラく、 「シルクロードじゃなくてクルシイロードだヨ」 とは、日本の添乗員も中国の現地ガイドも共通に持っていた気持ちですが、シルクロードなんかも今はだいぶ楽です。



シルクロードの代表的な街、千仏洞で有名な敦煌には何回も行きましたが、ある時。

1 日の観光が終わりホテルに帰ってきたら、スーツ着た若い添乗員のにいちゃんが大声でフロントとやりあってます。

んで何となくタバコ吸いながらやりとりを聞いてたんですが、何でもどっかの大型観光団がもうすぐ敦煌に到着するみたいで、このにいちゃんはその観光団の先乗り、つまり観光団の日程を先まわりして迎え入れの準備を整えておく立場のヤツで、予約していたはずの部屋数が足らないみたいです。



よくある話しです。

予約 OK を出しておきながら、実はオーバーブッキングとか政府筋の客が部屋を横取りしてったとか。

全部で何部屋必要なのかは知りませんが、半分ぐらい足らないようで、だんだんとそのにいちゃん殺気立って来て、もう言ってるコトが支離滅裂(笑)

それを中国語に訳してフロント側と話してる現地ガイドの通訳もまだヒドく、どっちも新米みたいでした。



何かかわいそうになってきちゃって、よっぽど助け船を出してやろうかとも思ったんですが、それで頼りにされてもヤダし、こういう交渉するコトも経験だし、第一



野郎だから


助けてやんないコトにしました(笑)

もちろん、オネエチャンだった場合は



助けます


もうシツコイほど


(笑)



そんなワケで、行くまで何が起こるかわからないのが中国ですが、また昔を思い出して行ってくるっす。

うっす。