中学生になる上の子が、学級新聞に載せる原稿を見てほしい、と。
テーマは最近のクラスについて。
忘れ物や宿題をやってこない人が増えているので、みんな気をつけよう、と。
実に堂々たる正論であった。
こんな論理展開ができるまでに成長したのかと、おのれの衰えをしみじみと感じてしまったワケで(笑)
「どう…? これでいいかな…?」
「う~ん…」
言ってるコトは実に正しく、誰もが何の反駁もしないだろうとは思う。
しかし…
世の中には正論であるが故に、世間から反発されるコトもままあるワケで。
「ねぇねぇ、この新聞、読んだ?」
「読んだ、読んだ! なに、あの子…? エラそうなコト言ってんじゃん」
「そうだよネェ… 先生に気に入られようとしてんのかな…」
「なんかムカつくよネェ」
とかって。
「正しいコトを言っているのだから、堂々としていればよい」 と言うは易いが、ひとつ間違えば陰惨ないじめのきっかけにもなりかねない要因を含んでおり、オレは情けなくも的確な返事ができなかった。
まさか 「こんなコト書いてると、いじめられるかもヨ… 適当なコト書いときゃいーんだヨ」 とは、そんなコトは言えないし…
「正論であるが故に反発される」 という、そうした場合が世の中には実際たくさんあるワケで、それはクチで説明できるモノではなく、体験から会得するモノだろうと。
そして 「世の中の実際の仕組み」 を感じ、それに適応し、オレのような情けない大人になってしまうのかも知れない。
長く社会で仕事をしていると、そんな場面にも数多く出っ喰わすワケだが、それでも仕事なんだから何とかしなきゃいかん。
正攻法でダメなら、まわり道してみるとか、 「稟議と根回し」 で乗り切るとか(笑)
この学級新聞の記事の場合、子供にありがちな発想で 「精神論」 に走ってしまっている。
「しっかり気をつけよう!」 とか 「たるみがちな生活態度を改めよう!」 とか。
「精神論」 だからこそ、反発されるコトも多いと思われるワケで、もっと現実的にいってみたらどうかと考えた。
忘れ物をしたら、本人が不自由なばかりかそれを貸した友達にも迷惑がかかるとか、宿題をしなければ、その分、個人への勉強の負担、またクラス全体への影響もあるんだ、とか…
あぁぁ… ウマく言えない… ヾ(^^;
「正しいコト言ってるんだから、雑音は気にするな! 堂々としておればよい!」 と、声を大にして子供に言えなかったという、なんだか情けないハナシ。