ZureZure 日記

瑣末な日常を Zure た視線でやぶにらみ

あの麗しの国

ネットで 「過半数が「日台関係は良好」  2011 年度対日世論調査」 というニュースを読んだ。

日本の対台湾交流窓口機関である交流協会台北事務所が、台湾の男女 1,000 人余りを対象に実施したもので、その結果、日台関係では 「大変良い」 と 「良い」 が 52 %を占め、前回の 28 %から飛躍的に伸びたという。

また 「日本に親しみを感じる」 も 74 %で前回の 62 %を大きく上回った。



一方 「台湾以外で最も好きな国・地域」 でも、トップは依然として日本(41 %)であり、中国とアメリカ(いずれも 8 %)を引き離した。

ちなみに、前回は日本(52 %)・米国(8 %)・中国(5 %)だったそうで、今年は中国が 3 ポイント上回った、と。

同じ隣国とは言え、中国、韓国の世論とはエラい違いである(笑)



去年、休暇を取って一週間ほど台湾をブラブラしてきたが、あれは台南の街だったか、格別印象に残った出来事があった。



台湾はどこに行ってもスクーターが多く、歩道も半分以上はスクーターの駐車場と化している。

台南の、とある街中の歩道を歩いていたオレ。

そこの歩道もご多分に漏れず、半分以上の面積を整然と並べられたスクーターが占めていた。



そんな中、高校生ぐらいの女の子が、自分のスクーターを車列の中から引き出そうとしていたのだが、隣のスクーターに引っかかって、なかなか引き出せない。

ちょうどその後ろをオレが通りかかったのだが、その瞬間、彼女のスクーターが スポン! と抜け、危うくオレの脚にぶつかるところだった。



「?! 対不起!(あ、ごめんなさい!)」



別にぶつかったワケでもないので、オレは 「いえいえ」 と手を振りつつ、その場を通り過ぎたワケだが、ふと非常に新鮮な印象を覚えた。

この 「対不起」 という中国語。

直訳では 「ごめんなさい」 「すいません」 という意味なのだが、大陸の中国、いわゆる中華人民共和国との関わりが長かったオレにとっては、ついぞ耳にするチャンスが非常に少なかった単語なのである。



大陸の中国人は 「謝る」 というコトは己のメンツの問題でもあるので、 120 %自分が悪くても絶対に謝る、というコトをしない。

大陸の女の子だったら、上記のシチュエーションのように自分のスクーターが他人にぶつかりかけても何のリアクションも起こさず、あたかもオレはそこにいなかったかのように無視されるか、あるいは 「なに、ボォーと歩いてんのヨ! バ~カ!」 ぐらいのコトを言われるのがオチだろう(笑)



オレは学生時代の一時期を北京の大学で過ごし、また今までの仕事のほとんどを中国と関わって生きてきたので、大陸の中国語における 「対不起」 の位置づけを痛いほど知っているのである(笑)

「対不起」 なんて言うのは教科書の中だけでの話しであり、実際、そうだったので(笑)、ついぞオレの頭の中からは 「対不起」 というコトバがすっかり抜け落ちていたのだ。



そこへ。

上記のシチュエーションで、ごく自然に、ごくごく当たり前に 「?! 対不起!(あ、ごめんなさい!)」 というコトバを聞き、オレは台南の路上で感動していた(笑)



これで同じ中華民族なんだろうか…

こんなごくごく一部の例で決めつけられないのは十分に承知しているが、中国のコトをまったく知らないワケではないオレは、率直にそう感じた。



同じような事例はまだある。

中国語を知らない人が聞いたら、まるでケンカをしているのかと思えるほど、中国人同士の会話はキツくて、声がデカい。

言い回しもやっぱりキツく、そういう環境こそが中国なのダ! と刷り込まれていたオレは、初めて台湾に行った時、そのソフティケイトされた中国語に腰を抜かさんばかりに驚いた。



今でこそ、大陸の中国でも店に入れば 「歓迎光臨!(いらっしゃいませぇ~!)」 と声がかかるが、 20 年ぐらい前の中国ではそんなコトは言うはずもない(社会主義では客は「客」でないので・笑)

ところが台湾では店に入れば 「歓迎光臨!(いらっしゃいませぇ~!)」 と当たり前のように、そう、まるで日本のように店員が声をかけてくれ、 「そうか! 中国語では いらっしゃいませ はこう言うのか!」 とこれまた感動した(笑)



街中を歩いても、テレビを見ても、あの無意味な喧噪の中国とは大違い。

そこにあるのは適度な常識と高い教養、豊かな知性を持ったもうひとつの中国が存在していた。



この違いはどこから来るのだろう…?

オレは考え込まざるを得ない。

同じ中華民族なのに、ただ人為的、政治的に分断されただけの、同じ血を持つ人たちなのに。



オレが中国と関わっていた時、中国社会には 「昼寝」 という習慣があった。

だいたい役所でも工場でも昼休みは 2 時間前後あり、食事の後は家が近い人は自宅に戻り、帰らない人は自分の机でうとうとまどろむ。

これがまた実に気持ちのいいもので、大学にいたころは昼メシを喰うと反射的に眠くなり、学生寮の自分の部屋のベッドでぐーぐー(笑)



しかしこんなコトをやっていたのでは、経済発展は覚束ないし、このころから増え始めた外資系企業の中国事務所/工場では昼寝を認めろ、認めないで労使関係にも影響したとか。

「昼寝は長い間の習慣なので、一朝一夕にはやめられない」

「中国人は摂取する栄養価が低いから、昼寝でもしないとやっていけない」

などという言い訳が、堂々と新聞にまで載る始末(爆)

まぁ言ってしまえば 「昼寝は気持ちいいから、これからも続けたい」 というダケのコトなのである。



しかし世界各国にある華僑社会。

華僑の人たちは、どこの国でも勤勉でまじめに働くので、地元社会からの信用を得、経済的にも成功した人が多い。



そして、どこの華僑社会でも、異境にあっても自国の文化を次の世代に残そうと努力しているが、その対象として昼寝は入っていないようである。

「昔からの習慣だなんて、とんでもない。昔は喰うや喰わずで昼寝なんてしてる余裕はなかった」

「早看月亮、晩看星(朝は月が沈まないころから起きだし、夜は星がきらめくころにやっと休める・朝が早くて夜が遅いコトの不平、不満の例え)の毎日なのに、昼寝なんかしていられるか」



昔の中国を知る、華僑社会の人たちはこんなコトを言うのである。

生きるために、家族を守るために精一杯働いている毎日では、優雅に昼寝なんてしている余裕はないのである。



こういうコトを考えると。

同じ中国語文化圏であり、中華民族という共通かつ強烈なアイデンティティを持っていても、かように価値観が異なる原因を考えると、つまりはその国の社会性、そして教育面にカギがあるような気がする。



まぁ 「社会」 とか 「教育」 などに話しが及んでしまうと、ものスゴく長くなるし(笑)、オレの論旨もどんどん横道に逸れかけないので、その辺は自重するとして(笑)

やっぱり 「大陸」 の中国、つまり 「中華人民共和国」 と 「台湾」 の中国、つまり 「中華民国」 は、すでに別の国と考えた方がいいのかも知れない。



かつて、日本が植民地支配をした地域のひとつである台湾。

その他のかつての支配地域である朝鮮半島や旧満州(現・中国東北部)では、日本の影を極力排除しようとしているようだし、そういう気持ちもよくわかる。

とにかく 「日本」 と名のつくものは徹底的に排除し、抹消されるか、もしくは 「観光名所」 としてちゃっかり使われ、カネもうけのネタにされているワケだが、台湾の場合はちょっと異なる。



かつての 「台湾総督府」 は、今も 「中華民国総統府」 だし、日本の水利技術者・八田与一が残した烏山頭ダムは今も使用され、公園には彼の銅像と墓が残る。

また満鉄初代総裁として高名な後藤新平は、満鉄総裁になる前は台湾の民政長官だった。

この時の社会インフラ整備や行政面での深い研究、また当時社会問題であったアヘンをいきなり厳禁にするのではなく、徐々に禁を高めるコトで結局根絶に成功しているが、彼のこうした一連の社会政策は今でも高く評価されている。



もちろん、日本の統治時代のそのすべてがプラスであったワケでは決してない。

いいところも悪いところもあるのだが、いいところは残しておこうという、考えてみればごく当たり前のコトが普通にこの国では行われている。



「ごく当たり前のコトが普通に行われる」

これ、実は非常に大事なコトだと思う。



冒頭の 「あ、ごめんなさい!」 とスッと言えるのは、まさにそういうコトかと。

悪いことをしたのだから、素直に謝る(この冒頭の子は、別に悪いコトはしていない・笑)、この実に当たり前の教育、いや教育以前に、これは 「しつけ」 の類の話だナ…

こういうコトができているところと、できていないところでは、やっぱりその差は歴然というべきかも。



石原都知事が、よく 「あの国は民度が…」 という発言をするが、オレ自身、決して 「民度」 というコトバは好きではないし、むしろ大いに違和感を覚えるのだが、中華人民共和国中華民国を考えるとき、この 【民度】 に思いが及ばざるを得ない。

「メンツ」 という、ごく個人的な価値観と 「しつけ」 という人としての基本的部分とを比べた場合、どちらに重きが置かれるべきかは自明の理であり、この辺の判断基準が民度というコトになるのだろうか。



先の東日本大震災の時。

世界各国から援助の手が差し伸べられ 「反日」 の潮流が渦寄せる中国・韓国からも 「それとこれとは別だ」 と、救援隊の派遣や多額の義援金が寄せられた。



しかし、この時、総額 200 億円を超える義援金を送ってくれた人々がいる。

言うまでもなく台湾の人々である。

しかも台湾の華視新聞社が行ったアンケートによると、 2011 年に台湾で起きたもっとも幸せな出来事のトップに 「日本への義援金が世界最高額になった」 ことが選出されたという。

(出典: 矢印 Searchina)



これは台湾の人々の最大限の 「善意」 であり 「好意」 であるコトは疑いようのない事実なのだが、日本政府の対応は:

アメリカ・イギリス・中国・韓国の各新聞には支援への感謝広告を掲載したが、台湾紙への掲載は一社もなかった。

東日本大震災一周年の追悼式において、台湾代表を外国代表の指名献花に参加させなかった。



日本政府って、民主党って、外道の集まりなんだと、今さらではあるが心から思った。

まぁ民主党なんてのは、マニフェストを破った時点で、すでに政権与党としての資格その一切を自らが破棄してるんだけどネ。

「政治生命をかけて消費増税する」 って、テメエの政治生命かけられて消費税があがっても迷惑なダケなんだから、政治生命じゃなくて、てめえの命をかけろ。

ハラ掻き切って介錯なしで果てたら、そしたら考えてやらんコトもないゾ。

それはそれとして。



国を超えた 「無償の善意」 を、ここまであからさまに無視するって、やはりこの国の 【民度】 も著しく低下しているのかも知れない。

困ってる時に手を差し伸べてくれた人たちに、すなおに 「ありがとう」 と言えないのは、やはり 「しつけ」 の問題なんだと思う。



しかし、これは日本国民の問題だろうか。

大多数の日本国民は、国の好き嫌いはあるにしても救援隊を派遣してくれたり、義援金を寄せてくれた各国に対しては、素直に感謝の気持ちを抱いていると思う。



それを 「政治的配慮」 から、謝意を表するコトができないのだとすれば、これほど人として幼稚かつ未熟なコトはないだろう。

感謝の気持ちは人として当然のことだし、政治は人を幸せにすることのみに、その存在意義があるにも関わらず、それができない政権与党。

あ、でも、そんな外道を与党にしちゃった、やっぱりオレたちに一番責任があるんだろうナ…



政治家がどう言おうと。

もはや世界一の経済大国となった隣国がどう言おうが。



オレは台湾という国は大好きだし、未曾有の国難に際して最大の民意を寄せてくれた麗しの島のコトは決して忘れない。

ポリティカルバランスの面からは、常に隣国の鼻息をうかがっていなければならないのだろうが、その横にこんなすばらしい国があることを、オレたちは
今一度考えるべきだと思う。



もし核兵器のスイッチが押されたとか、世界が破滅に向かうようなハメになったとしたら。

その原因は狂信的なイス○ムの連中か 「オレたちこそが No.1 」 とマスターベーション的カン違いに国を挙げて浸っている漢○族の、どっちかだと思っている。

(爆)