千葉県佐倉市にある 「国立歴史民俗博物館」 に行ってきた。
前から一度行きたいと思っていたのだが、佐倉という場所が自転車で行くにも、クルマで行くにも微妙な距離で、これまでずっとためらっていた。
が、お盆休みのこの時期に、成田のホテルが格安で取れたので、そんなら行ってみようか、と。
この時点では、あんまり期待していなかったのだが…
縄文、弥生時代から始まって、近現代に至る、全 6 展示室。
それぞれの展示室も大きく、かなりのボリュームでお腹いっぱい。
午後 1 時ごろに着いたのだが、結局、閉館アナウンスが響く 5 時半まで、最後は駆け足の見学になってしまった。
日本人なのに、日本の歴史にあんまり詳しくないオレ(笑)
が、そんな中でも、一際興味を引いた展示があった。
南瞻部洲萬國掌果之圖
仏教の世界観から見た、万国地図である。
老眼鏡を押し付けるように見ていると(笑)、様々な地名が出てくる。
仏教の世界観なら、カイラス山もあるはずだと、その辺をじっくり見てみると…
あった。
阿耨達池。
カイラス山のふもとに広がる、マナサロワール湖のことである。
仏教の大聖地であるが、今では何の教養も良識もない、かの国の富裕層が、ゴミ捨てまくり、ツバ吐きまくり、吸い殻ポイ捨てまくりだそうで、お前ら、みんな雷に打たれて死んでしまえ(笑)
その次がこれ。
日本で初めて新聞を発行した、ジョセフ・ヒコの 「海外新聞」
少年の頃に、乗っていた船が難破し、アメリカの捕鯨船に救助され、アメリカの土を踏んだ。
そこで心ある人たちの援助のもと、高等教育を受け、日本に帰国した稀有の人である。
そうした境遇から、ヒコは漢字があまり読めず、英字新聞の記事をそのまま口訳し、それを岸田吟香が日本語で筆記したという。
輸入商品の相場から、為替情報まで掲載していたので、当時、増えつつあった日本人の貿易商から、殊の外、重宝されたらしいが、彼らは新聞というものをまったく知らなかったので、厚く礼を言いつつも、タダで持って帰ってしまう。
ヒコも、これで収入を得ようとは思っていなかったが、新聞は買うもの、という常識をもっていたヒコは、非常な違和感を覚えたという。
もっと知識があれば、もっと楽しめたと思うのだが、まぁそれでも十二分に満足できました。
そしてホテルで一人宴会開始(笑)