Zure Zure 日記

瑣末な日常を Zure た視線でやぶにらみ

旧日立航空機変電所・立川飛行機給水塔跡

何だか『旧』とか『跡』とか、そんなとこばっかり行ってるような気がする(笑)

 

この前、新聞を読んでいたら旧日立航空機株式会社の工場跡地に残る変電所の記事が載っていた。

至るところに銃痕が残る、痛々しい建物であるが、水曜日と日曜日は一般公開される、とのことで、さっそく行ってきた。

 

自宅からいくつも電車を乗り継ぎ、西武線玉川上水駅へ。

 

ここから線路沿いに5分ほど歩くと、東大和南公園に出る。

乗り入れ禁止の標識に書かれたオートバイが、何となくかっこいい(笑)

 

とてもきれいな公園で、何組もの家族連れが水遊びを楽しんでいた。

ここなら水の事故が起こる可能性も少なく、親御さんも安心して子供を連れて来られるだろう。

 

立派な陸上競技のトラックなどもあり、運動部の学生たちが盛んに練習していた。

 

こんな平和そのものの公園を抜けると…

 

突如として、平和とはまったく様相を異にした、一種異様な建物が目に入る。

 

東大和市の指定文化財ともなっている『旧日立航空機変電所』である。

 

www.city.higashiyamato.lg.jp

 

かつてこの地には陸軍機のエンジンを製造する一大軍需工場があり、この変電所は工場一帯に電力を供給、管理する、変電所というよりは『配電所』のような役割であったらしい。

毎週水曜日と日曜日に一般公開され、日曜日には職員の方によるガイドツアーが開催される。

 

右側の方が案内をしてくださる職員の方。

かなりご年配の方のようで、あるいは旧前田邸を管理していた地域のボランティアの方なのかも知れない。

 

10時45分スタート、予定は11時30分まで、ということだったので、午前中は案内を聴き、適当に昼を食べた後、午後からまた来るつもりにしていた。

しかし、この方の案内というか解説、非常に熱が入っており(笑)、気がつけば12時近く(笑)

この方も思いっきり恐縮していた(笑)

 

変電所1Fにある蓄電池(バッテリー)室の一角。

 

ちなみに、こういう写真を撮る場合、中のバッテリーの棚に合わせると、このようにドア枠が斜めになってしまい、ドア枠に合わせると、たぶんバッテリー収納棚が斜めりますよネ…

どうやって撮るのが正解なんでしょう…

(?_?)

 

 

蓄電池室の壁に残された米軍機の銃撃痕。

下の壁が貫通しているのは徹甲弾とのこと。

 

こうした配電路など、当時の設備を極力残しつつ、現在の耐震技術を活かした補強工事を行った、とのこと。

 

このように一面に機銃攻撃を受けた弾痕が残っているが、ガイド氏の説明によれば、この弾痕は立川空襲の時ではない、と思われる、とのことだった。

 

立川一帯の軍需工場は、昭和20年4月に都合3度に渡る大空襲を受け、工場をはじめ、市街地一帯も壊滅的な被害を受けた。

しかし、ガイド氏が手にしていた米軍航空機の戦闘詳報や3度に渡る空襲の被害の詳細などからは、この変電所が被害を受けた記録は見つからない。

空襲時は無傷だったのである。

 

では、この多くの弾痕はいつ攻撃された時にできたものなのか。

 

記録によれば、米軍戦闘機単独襲来時に数家族が犠牲になった記録があるそうだが、その家族らはほとんどが、変電所正面で艦載機の銃撃を受けて犠牲となっており、その時の銃撃が今に残されている弾痕なのではないか?

通常、戦闘機は爆撃機の掩護として行動を共にし、このような単独行動はあり得ず、もちろん米軍側の記録にも載っていない。

 

では、なぜ、米軍戦闘機が単独で飛来し、たまたま変電所正面にいた数家族を銃撃したのか?

ガイド氏の推察によれば、グアム、サイパンテニアンの各島嶼から日本各地を爆撃するために離陸した米軍爆撃隊の掩護機の一部が、空路を見失い、たまたま立川一帯の軍需工場地帯に飛来、本隊から離脱してしまった腹いせに、この一帯を銃撃しまくったのではないか、と。

 

当時の米軍機に搭載されていたレーダーがどの程度の性能であったのか、素人のオレにはまったくわからないが、太平洋戦争中、厚い雲に遮られて視界を失い、僚機から離れてしまった、とはよく聴く話だけに、ガイド氏の説にもうなづけるものがあった。

また彼が持っていた資料は、公式と思えるものの、入手元がネットであるなど、今ひとつ信頼性に欠けるため、地域の郷土史研究会の研究結果、などであるのかも知れない。

 

 

予定時間を大幅にオーバーし(笑)、ガイド氏もお疲れのご様子。

オレも疲れました(笑)

『昼を食べてからもう一度』なんて思っていたが、もう十分、お腹いっぱいです。

 

この日は午後にもう一か所、見たいところがあるので、その前にお昼にしましょう。

何せ初めて来たところなので、どこに何があるのかさっぱりわからないが、駅前に戻れば何かあるだろう。

 

( ;゚ロ゚)ハッ!

 

オレにいったい、どーしろと言うのか

 

そら、こーなるワイ!

ヾ(`д´)ノ彡☆

 

いや、もう、ごっついコト美味しかったです。

ごちそうさまでした。

 

毎度のことだが、こうして戦跡を見学した後で、こんなことしていいのか、っていつも思う。

だけど、戦跡見学の後は自粛しなきゃいけない、なんてコトはないだろうし 呑む時/食べる時 は、いつも感謝しているので(これはホント)、まぁ多めに見てください。

<(_ _)>

 

さて。

次は玉川上水駅から多摩川モノレールに乗り、高松という駅で下車。

高松駅の高架からも見える、この建物。

 

日本有数の航空機メーカーのひとつであった『立川飛行機』の給水塔跡である。

 

地上4Fまでは居室? 事務室? で、その上が給水塔に相当する部分のようだ。

このあたり一帯は、当時の立川飛行機の工場群区画がそのまま残されているようだが、何の予備知識もないまま来たオレには、さっぱりわからん(笑)

 

高い鉄柵と有刺鉄線に囲まれているので、侵入はムリ(笑)

 

現在は立飛リアルエステートという会社の敷地であり、ダメ元で守衛さんに聴いてみたところ、この給水塔は一般公開はしていない、とのこと。

ただ立飛リアルエステート社の社員が帯同した上で写真撮影をした、という話も聞いたことがあるので、会社に問い合わせてみては、と教えていただいた。

 

興味はありますが、そこまでは…(笑)

こうして、何枚かの写真が撮れただけで満足です。

ご親切にありがとうございました。

 

帰りは立川経由。

立川なんて、もしかして降りたのは初めてかナ…

でっかい街で、田舎モンのオレは きょろきょろ/おどおど (怖)

 

帰りの車内は熟睡してしまい、あやうく乗り過ごすところだった(笑)