Zure Zure 日記

瑣末な日常を Zure た視線でやぶにらみ

連想

所用ができて、市内のとある病院に行ってきた。

地域医療の中核を成すのであろう、この病院は、改築したばかりで非常に清潔かつ機能的に作られている。

いつも診察を待つ患者さんで溢れており、今日は駐車場待ちの車列が一般道にまで及んでいた。

 

やっと駐車場に入り、病院までの建屋まで歩いていると、ふと、幼稚園ぐらいの男の子の手を引き、乳飲み子を抱っこひもでくくりつけた若いおかあさんが歩いてくる。

昨日からの強風の中、男の子の上着もばたばたしており、『うわ、これは大変そうだなぁ』と思った。

どうせ、このあたりの人だろうし、帰り道をクルマで送ってあげたい気分だったが、そんなことをすると犯罪者呼ばわりされる昨今、余計なことはしないでおこう。

 

用事が済み、帰りかけると、またその親子に会った。

おかあさん、男の子に『帰ったらプリン食べようか!』みたいな話をしており、強風の中をまた歩いて帰っていった。

その後姿を見、『母は強し』とつくづく思い、変な同情心を起こした自分が、ちょっと恥ずかしかった。

 

子供といえば。

自分の子供を迫害死させる鬼畜の所業のようなニュースを見ることがある。

いつも思うのだが、そういう鬼畜生以下の親は、自分が子供を殺したのと同じ方法で殺してしまえばいいのである。

 

親以外に頼る人がおらず、その親から迫害され死を迎えた子供の恐怖と苦しみと絶望。

自分の子供が死に至るまで、どんなに苦しく、恐ろしかったか、十分に味あわせ、身をもって償いをさせればよい。

 

さらに子供といえば。

先の親子のように、子供の具合が悪くなれば病院に連れていくのは至極当然であるが、その当然のこともされず、やはり恐怖と絶望の中で死んでいく子どもたちが世界中にいる。

ウクライナやガザ、内戦が続くアフリカ諸国。

 

世界は何もしない。

ただ政治家が次の選挙でも自分を当選させ、また裏金をたんまりともらえるように、テレビに出てはしかめっ面や悲しげな表情をして最大公約数的な、もっともらしいことをダラダラ吐くのみである。

 

もっとも、ワタシも何もしていない。

 

そうした子どもたちは清潔な水にも事欠く毎日だと聴いている。

 

犬を散歩させる時、水道水を入れたペットボトルをいつも持ち歩き、うん◯の処理をしたあとで、水洗トイレよろしくその水をうん◯あとに流すのだが、不潔な水しか手に入らず、それでもそれを飲むしかない子どもたちがたくさんいるにも関わらず、ワタシは清潔な飲料水で犬のうん◯を流している。

 

こんなことを書いているからと言って、出演料欲しさにもっともらしく、いかにも悲憤慷慨してますみたいな、教条主義的なことしか言えないワイドショーのバカコメンテーターのようなことを言う気はない。

 

『犬のうん◯あとをキレいにするなら、雨水でもためておけばいいじゃないですか。その水を能登の被災地やウクライナ、ガザの子どもたちに…』

その通りである。

『でも、その送り方もわからないし、ただペットボトルに水入れて送る、っつうのもなぁ…』なぁ~んて言い訳するつもりもない。

 

被災地や戦災地に送る義捐物資といえば。

ウチに近所の方からいただいた、東京オリンピック公式マーク入りのハンドタオルが山のようにある。

何でも、その近所の方も知り合いから押し付けられたそうで、仕方なくご近所に配ったらしいのだが、ウチにもその恩恵というか、お付き合いというか、義理立てというか、とにかくそんなハンドタオルが200枚ほどもあり、今ではでっかいビニール袋に詰められ、女房の韓ドラ観賞用クッションになっている。

 

あまりにもったいない話なので、200枚程度のハンドタオルが役に立つのかわからないし、また一応は公式物品であり、堂々とロゴマークもついているので、いかにも横流ししました、みたいなこんなものを送っても、差し障りがあるかも知れないと思ったが、とにかく石川県のWEBサイトを見てみた。

 

このご近所の方が横流しうんぬん、と言っている訳では決してない。

 

石川県のWEBサイトによれば、企業や団体からのみ、義捐物資を受け付けており、しかも県指定の場所まで自分で搬入できる場合に限る、と。

これは実に当たり前の話であり、そんなことすら思い至らない自分が、またちょっと恥ずかしくなった。

 

義捐物資といえば。

先の東日本大震災阪神淡路大震災の時。

送り状に『義捐物資』とあったので、大きなダンボールを開けてみると、中から脱いでそのまま突っ込んだような下着や衣類が出てきた、と。

 

しかもそういうものが、結構な数、送りつけられた、という話を聴いたことがある。

受け取り側が怒り心頭に達し、送り状に書かれた送り主に連絡しようとしたところ、住所も名前も偽名だった、との確信犯的念の入れ用。

聴いた話なので、本当にあったことなのか、それとも作り話なのかはわからない。

 

何だか連想が止まらなくなったが、今日の酒はうまいのだろうか。