これだけ毎日、毎日クソ暑かったり、陽光がガンガン照ってるその脇で豪雨が降ったり、こんな天気で出かけられるか! ヾ(`д´)ノ彡☆
ということで、どこにも出かける気にならず、せぇぜぇ夕方に自転車で1~2時間走るか、あるいは1時間程度のウォーキングをするか、それぐらい。
おかげでRE:4はそこそこうまくなった(笑)
とは思いつつ(笑)
定年前から『行きたいところ』をメモしており(気が早い・笑)、けっこうな数、それがたまっている。
またニュースで見たり、新聞の記事を読んだりして『行きたいところ』が少しずつ増えてきた。
あとどのくらい、この世にいられるか知らないが、とりあえず『動ける』うちに見ておかなきゃ! という老人特有の焦燥感にいきなり駆られ(笑)、都内2ヶ所をまわってきた。
やってきました西新宿。
春日部から上京して来たおのぼりさんらしく、高層ビルが珍しい(笑)
西新宿に来たら、いつもは『らぁめんほりうち』一択であるが、今日は、ここ。
西新宿に職場があったころは、よく通った。
10何年ぶりぐらいに食べたが、味はまったく変わっておらず、あっさり鶏ガラ醤油のスープとこしのある太麺、そこに揚げたてサクサクのジューシーささみカツが乗り、いや、もう、ほんとに美味しかったです。
ごちそうさまでした <(_ _)>
腹がくちくなったところで本日、最初の目的地。
このビルの33階に、それはある。
ちなみに、この画像は何人もの人が写っており、それらをGoogle消しゴムマジックで加工したもの。
よく見れば不自然なところがたくさんあるので、すぐに加工箇所がわかるが、こうしてブログに載せるのなら、十二分すぎるぐらい、キレいに加工してくれる。
以前にも拙ブログに書いたが、何だか加工AIがどんどん進化しているようなので、もう一度、書いてみました(^^)b
ここ。
ラーメン食べてから来るようなところではないです。
それは最初からわかっていたのに、平和ボケの定年じじいは、ほんとにダメだ。
写真も何枚か撮ったが、こんな能天気ブログにはそぐわないこと甚だしいので、興味のある方は ↑ のWEBサイトをご覧ください。
ただ、こんなところに来るのは年寄りばかりかと思っていたが、意外に若い人たちの姿も見え、いろいろと感じて、考えてほしいと、能天気じじいは思うのでした。
住友ビル1階の三角広場でちょっと休憩。
この芝生に寝っ転がりたかったが、ちょっと勇気がありませんでした(笑)
さて、新宿から小田急線に乗り、東北沢で下車。
10分ほど歩くと、次の目的地に到着。
駒場公園
旧前田家本邸
詳しい来歴は ↑ をご覧ください。
加賀百万石で知られた大大名・前田利家を祖とする前田家の第16代当主・前田利為の邸宅。
いただいたパンフレットによると、こうした意匠は『カントリー・ハウス』というのだそうだ。
各部屋の入り口には、こうした説明とともに当時の写真も加えられており、当時と今と見比べることもできる。
スマホが震えたので、何かと思ったら、バッテリーのアラートだった。
気がついたら、ここだけで90枚近く写真を撮っており(爆)、そらぁバッテリーも枯渇するわナ(笑)
他の部屋にはフローリングの床に豪奢な絨毯が敷いてあるが、この部屋にはそれがない。
それもそのはず、従者の控室だそう。
この和室は二間続きで女中部屋であった、と。
何だか昭和のアパートのようだ(笑)
この屋敷の中で最も格式が高いとされた菊子夫人の居室。
前田家一家団欒の場だったそうで、菊子夫人を中心に子供たちが談笑していたであろう光景に利為公も目を細めていたのだろうか。
主寝室
日本髪を解いた菊子夫人は、この鏡台の前で艷やかな髪にブラシを通していたのだろう。
先天的貧乏性のオレは、こんな部屋では眠れない(笑)
女中部屋なら熟睡できるけど(^^)b
この洋館の裏手に和館がある。
こちらの和館は、洋館ほど公開されている個所が少なく、この日はこれぐらいしか見ることができなかったが、ガイドさんがつく見学ツアーだと2階の部屋も見られるようです。
興味のある方はぜひ(^^)b
ここまで見てきて、考えたことがふたつあった。
北京でお気楽学生をやっていた1980年代中頃、留学生という立場を悪用して(笑)、中国のあちこちに出かけたが、地方都市、特に東北地方には、こうした洋館を改装したホテルが非常に多かったように思える。
1980年代というと、北京や上海でさえ、近代的なホテルは皆無であり、こうした旧満州時代の、例えば県知事公邸とか、そうしたクラスの洋館が満州のあちこちに満鉄や関東軍の手で建設されたことは想像に難くなく、それらが敗戦後に接収され、政府機関やホテルなどに転用されたのだろうか。
記憶にあるだけでも、北京の友誼賓館旧館や吉林市の吉林賓館、黒龍江省牡丹江市の牡丹江飯店などが、このような建築であったような気がする。
高い天井に磨き抜かれた床、ベッドの下にさりげなく敷かれた厚い絨毯。
今では好事家しか泊まらないようなホテルだが、当時は学生の身分でも泊まれるぐらいの値段であり、写真の1~2枚でも撮っておけばよかった、と後悔しきり。
これは洋館側の浴室だが(バスタブ、洗面台や床のタイルなどはすべて撤去されている)、『こりゃ、まさしくあの時のフロ場だワ!』と、いきなり学生だった40年ほど前に引き戻されたような気になった(笑)
もうひとつ。
洋館玄関の車寄せ正面から撮った写真。
これは和館の庭。
お気づきだと思うが、どちらも雑草がすごい。
洋館玄関前の車寄せと言えば、招かれたゲストが最初に目にする場所だし、また和館の庭などは室内に酒肴を並べ、月やホタルを賞でたのであろうが、そんな場所がこのように雑草が生え放題のまま放置されているのは、ちょっと考えられないことである。
この天候では雑草の成長も早いだろうし、たまたまこの日は定期刈り取りの直前のようなタイミングだったのかも知れないが、この旧前田家本邸に常駐している管理要員はすべて地元のボランティアの由。
結構なお年の方ばかりであったが、もし、こうしたボランティアに草刈りまでやらせているとしたら、こういうところにはお金を使いなさいヨ、と関連部署には言いたいです。
前者であることを祈ります。
以前に『苦心の学友』という本を読んだことがあった。
少年倶楽部という古い昭和の時代に人気だった少年誌に掲載された小説で、旧華族伯爵家の三男坊の学友に選ばれた市井の少年が、広壮な屋敷で生活をともにし、同じ学校に通い、わがままな三男坊や世間知らずの伯爵一家に振り回されながらも、次第に仲良くなり、最後の別れのシーンでは、互いに涙をぽろぽろ流すまでになるのだが、この小説の中で、三男坊が学友の少年をスキーに誘う場面がある。
『君、冬になったらスキーをやろうよ』
『それはいいですが、遠くの雪山まで行くのは大変ですね』
『何を言ってるんだ。ぼくはいつもお屋敷のお庭でスキーをやるよ』
小説の中のお話だと思っていたのだが…
庭でスキーを楽しむ前田家の子供たち。
本当だったんダ…
(笑)