Zure Zure 日記

瑣末な日常を Zure た視線でやぶにらみ

沈黙の饒舌


朝、会社に行くとか学校に行くとか、たいていの人は同じ時間帯の電車に乗りますよね。

私のように超遠距離通勤の場合はなおさらそうでして、立ち寄りとか寝坊(爆)などない限りは、常に同じ電車です。



で、いつも乗り合わせる人っていますよね。

もちろん話しなどしたこともないし、いても特に気にならない。

でもいなきゃいないで、

「あれ 今日はどうしたのかな…」

みたいに思います。



それがまたかわいい子だったりすると、

「あー おはよー」

みたいに、心の中で叫んだりして、我ながら気持ち悪い中年親父だと(爆)



そ、それは置いといて…



ずいぶん前のことですが、電車の車中で見かけた人たちのことです。

この前、いつものように車内で眠りこけ、ふと目を覚ますと前の座席に女の子が二人座っていました。

制服着てましたから、中学生とか高校生ぐらいですかね。



で、その女の子たちなんですが、聴覚に障害がある子たちのようでした。

それで手話で話しているのですが、もの凄い勢いで両手が動いており、それでケタケタと笑い転げてます。



非常に話しが盛り上がってるみたいです。

片方の子が、もう全身を使って手話をしているような勢いで話しをしており、もう片方の子は眼をきらきらとさせて、これまた全身で

(*'ー')(*‘∇‘)(*'ー')(*‘∇‘) ウンウン

と聞いてるんですね。



しまいにゃぁ、話し手も聞き手もごっちゃになっちゃって、もー とにかくすごい勢いで両手が動き回ってました。

それで文字通り腹抱えて笑ったり、のけぞったりしちゃってます。



私は思わず見惚れてしまいました。

もちろん何を話しているのか、手話をまったく知らない私には皆目見当もつきませんが、年頃の女の子たちの会話が一般的にそうであるように、昨日見たテレビ番組とか、あるいは共通の友達の失敗談とか、そういう他愛もないことなんだろうと思います。

手話というものの偉大さを初めて実感した瞬間でした。



この子たちの障害が先天的なものなのか、あるいは事故や病気などの後天的なものなのか、どちらにしても大きなハンデを否応もなしに背負わされ、私のようなお気楽人間には想像もつかないようなことがたくさんあったのだと思います。

聴覚というコミュニケーションの重要な手段に障害があり、ともすれば自暴自棄になったり、あるいはすっかり閉じこもってしまうこともあったのかも知れませんが、そうした人たちに手話というコミュニケーション手段は大きな希望の光を灯したのでしょう。



私は、手話を発明した人、またそれを継続発展させていった、恐らく大変多数であろう人々に、心からの拍手を送りたい気分でした。



私は頭が悪いとか、不細工だとか、スケベとか、大食らいの大酒飲みだとか、まぁそんなこと以外は、普通の人間です(爆)



よくパラリンピックなどで活躍した選手たちをテレビ番組などが紹介していますが、それを眼にしても、正直

「ふーん」

程度のものでした。

やっぱり自分とは完全に異質な世界としか感じ取られなかったんですね。



しかし、この日。

心底楽しそうな女の子たちを眼にし、同じ社会で生きてるということでは何ら変わりがないこと、そしてできる人ができない人に手をさしのべることの大事さを実感したような気がしました。

あったま悪くて、三枚目で、スケベで、大食らいで大酒飲みの私ヽ(^^; ワカッタヨ… でも、何かできることはないのだろうかと思います。



もっともやろうと思えば、たくさんあると思うんですよね。

様々なボランティアなんかは、その代表的なものだと思うのですが、最近、私が所属しているある集まりで、私のできる範囲のことで、それが多少のお役に立ちそうなことが持ち上がりました。

勤め人である以上、幾ばくかの条件はありますが、環境が許せばぜひやらせてもらおうと思ってます。



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障害を持つ人たちについて、初めてふれました。

ですので思慮が足らない部分や事実誤認、また不快に思わせる箇所もあるかも知れませんが、それはすべて私の文章力不足に起因しているものです。

従って、いわゆる 【悪意】 はまったくないことを明記しておきます。