Zure Zure 日記

瑣末な日常を Zure た視線でやぶにらみ

定年旅行 1.西日本編 その3 唐招提寺

2023年7月12日(水)

この日は、これまでとはがらりと方向性を変え、奈良のお寺に行ってきます。

 

新大阪から御堂筋線でなんばに出、そこから近鉄奈良線大和西大寺へ。

そこから近鉄橿原線に乗り換えて西ノ京駅で下車。

 

西ノ京駅前には何もなかった(笑)

 

この日は移動日を兼ねていたので(毎日が移動日だったけど・笑)、キャリーバッグをコインロッカーに入れておきたかったのだが、料金が700円。

500円玉は使用不可であり、そんなん100円玉ばっかり7枚も持ってるかヨ!

ヾ(`д´)ノ彡☆

 

駅前に唯一あったタクシーの営業所敷地内に自販機があったので、すいません、すいません、と敷地内に侵入、1,000円札で缶コーヒーを買う。

でも、この缶コーヒーがとっても美味しかったの(笑)

 

駅から唐招提寺まで、こんな感じの道を15分ほど歩く。

 

着きました。

 

子供のとき、何かの折にこの金堂の写真を見て、子供心にもこの寺の持つ端正さというか、厳しい雰囲気の中にもどこかに香る人間性、優しさのようなものを感じ、おとなになったらぜひ行ってみたい、と思っていた。

 

もっともこんな理屈付けは子供にできるワケもなく、当時何となく浮かんだイメージを世塵にまみれた定年おやじが何となくここに書いてみた、と(笑)

 

おとなになってだいぶ経つけど、定年になってやっと来ることができた(笑)

 

天平のころ、寄るべきものがなく、混乱していた日本の仏教界に正しい律を授けるべく、若い僧侶たちが遣唐使となって唐に渡った。

唐での長い滞在の間、日本仏教界に律を授ける律師は鑑真和上を置いて他にない、と確信した留学僧たちは和上に出仕を請い、和上は律のためなら、と日本に赴くことを決意する。

 

それからの和上一行の苦難の連続は、よく語られている通りであり、最後は両目を失明するという憂き目に遭いながらも、ついに日本の土を踏んだ鑑真和上。

唐招提寺は、この鑑真和上をお祀りしている。

井上靖の『天平の甍』は今も愛読書のひとつです。

 

オレの撮る写真って、片っぱしから微妙に斜めるのはなぜ?(笑)

 

境内のあちこちに蓮の花が咲いていたが…

 

中国語でも書いてある、ということは。

おまえら、全員、雷に打たれて死んでしまえ(仏罰)

 

鑑真和上の坐像をおさめた御影堂。

普段は公開されておらず、年に一回、数日間だけ一般公開される。

 

スグリーンの苔が美しい。

 

鑑真和上御廟

和上の墓所であり、その墓前には和上の故郷である中国揚州から送られた花が植えられ、それは初夏に咲くそうです。

 

傍らには、中国仏教界の重鎮であった趙撲初師の記念碑が。

 

唐招提寺が所有する多くの文物を収納するために建てられた新宝蔵。

本堂である金堂もこの新宝蔵も、内部はすべて撮影禁止なので仏様の写真を撮ることはできなかった。

 

ちなみに、この新宝蔵には大日如来の仏像も安置されている。

大日如来真言密教系の仏様であるが、密教はその名の通り、秘密主義的なところがあり、そのため各流派によって経典の若干の解釈の違いが在った。

密教においては、こうした仏教理論を相手と戦わせ言い負かすという、高度に発達した形而上学修行があるが、解釈の違い、つまり前提が異なっている以上、理論が噛み合わないケースも散見されたという。

 

この問題を解決するため、大日如来という一種の後付け、超越的存在を置き、その問題を無理やり解消したらしい。

ということは、そもそもが『律』とは真っ向から矛盾する存在なわけだが、なぜこの大日如来が律の総本山である唐招提寺に祀られているのだろう…

どなたか、ご存知の方がおられれば、ご教示ください。

 

というワケで、この日の午前の部は終了。

 

こうして律の世界に清遊したオレは、紅塵の巷に戻るべく必要な儀式を開始した。

 

ごちそうさまでした。

 

今回の旅行で初めての買い物、自分みやげ。

大和ミュージアムでも民族学博物館でも、欲しいモノは何もなかった(笑)