Zure Zure 日記

瑣末な日常を Zure た視線でやぶにらみ

馬頭観音六体+1

ある日、Googleマップで調べ物をしていたら、ウチのすぐ近所に馬頭観音の石刻があることに気づいた。

( ・ω・) コンナ近クニ…

 

それで気になって、いろいろと調べてみたら、この他にもけっこうな数の石刻があるようだ。

外をブラブラするには最適な天候が続いているので、馬頭観音を巡ってひとまわりしてみようと思った。

 

全体図は ↑ こんな感じ。

 

それにしても、なぜオレのGoogleマップにはラーメン屋とかそば屋がクローズアップされるのだろう…(笑)

 

ひさしぶりのR3

では出発。

 

一体め。

 

『文政九年』と刻んであるので1827年、今から200年近く前のものか。

よく残っていたナァ…

 

それにしても立派な石刻である。

この道は、自転車でもクルマでも数えきれないぐらい通っているが、まったく知らなかった。

 

二体めと三体めは、娘たちが通っていたこの小学校の裏手にあるはず。

 

探している途中、こんな祠に気がついた。

建屋も中の仏様も新しいので、ごく最近のものだろうか。

 

真新しい。

 

傍らの石碑には『阿弥陀堂再建記念』『弘法大師降誕千二百年記念』とあるので、まぁそういうことなんでしょう(笑)

 

この写真を撮るのに、R3を草の茂みに立てかけていたのだが、何かにひっかかり、無理やりべりべりと引き剥がしたら…

 

チェーンが落ちた(笑)

チェーン落ちなんて実に久しぶり。

 

気を取り直して、二体めを探す。

 

二体め。

ちっちゃ(笑)

まぁ一体めのような立派なものの方が、むしろ例外なんだろうナ。

 

建立年が知りたかったが、摩耗していて読めなかった。

その割に中央の『馬頭観世音』と刻まれた部分は鮮明なので、あとから修復されたものなのかも知れない。

 

ほどなく三体め。

こちらは大正十二年(1923年)とあるので、ちょうど100年前のもの。

 

四体め。

これもちっちゃ。

 

これは探し当てるのにちょっと苦労した。

Googleマップ上では、まさにこの場所にいることになっているのだが、なかなかそれらしいものが見当たらない。

 

なんせ ↑ こんな感じで佇んでいたので(笑)

 

これはかろうじて『馬頭観音』の文字が読める程度で、他は摩耗しきっていて、まったく読めなかった。

 

この辺で、そろそろお昼にしたいのだが…

 

あ、あんなところにゆで太郎が…

こんなところにもあるとは、ちっとも知らなかった。

 

おとなしくミニカレーだけにしておけばいいのに、ついつい唐揚げをトッピングしてしまう(意地汚)

だから太るんです。

 

ゆで太郎なんて実に久しぶり。

どこのお店も美味しいが、一番のいいところは冷たいものは冷たく、熱いものは熱く供されること。

当たり前のことかも知れないが、こういうところはすごく大事かと。

 

大変おいしゅうございました。

ごちそうさまでした。

 

安心・安全・アースロック。

と『あ』で韻を踏む。

踏んでない(笑)

 

ゆで太郎の前には、今、何かと取り沙汰されている中古車の販売会社があったが、この会社ももうダメだろうナ…

 

近くにコンビニでお昼休憩。

自転車に乗ってコンビニで休憩なんて、これまた実に久しぶり(笑)

 

さて、5体めを探しに行きましょう。

 

五体め。

これも探し当てるのに、ちょっとだけ苦労しました。

 

右側の碑に『馬頭観音』と刻んであったのでわかったが、左側は完全に摩耗しており、ただの石柱と化していた。

 

さて、最後の六体めは、ここからウチに帰る途中にある。

 

五体めがあった通りから、中川に出て、その脇の道を北上すればあるはずである。

何だかとってもいい道で、思わずランランRUN🎵

 

最後。

六体め。

これは立派だ。

 

左側には仏様(お地蔵様?)

 

碑の左側には『正徳二年(1712年)』と刻まれているので、何と300年以上も前のものになるが、そんなに古いの…?

この画像では、左側がまったくの影になっているので、よくわからないが、実際に見た感じでは左右の摩耗具合が違うので、これも後世になってから修復されたものなのかも知れない。

ちなみに右側には『泰像立地◯菩薩念佛為二世安楽也』と刻まれているが、何となく意味はわかるような気もするが、たぶんそんな気がしているだけです(笑)

 

さて、右側の『馬頭観世音』の石刻であるが…

 

◯◯五年壬子八月とある。

壬子は49番目の干支であり、左側の像と近い年代では享保十七年(1732年)に相当する。

もっともこのふたつが建立当時から並べられているという保証はなく、後から移転してきて、ふたつ並べられた可能性も十分にあり、むしろ、そちらの方が自然に思える。

 

さて、そんなわけで目的の六体はすべて拝めたので、Googleマップで帰り道を探そうとしたら、ここからほど近いところに、もうひとつの馬頭観音を見つけた。

しかも『卍馬頭観音』と書かれているので、馬頭観音を祀ったお寺か何かだろうか…

せっかくなので行って見ることにした。

 

で、これが大間違い(笑)

『この辺のはずだけどナァ…』と同じところを行ったり来たり。

いい加減イヤになってきて、R3ブン投げて帰ろうかとした時、やっと見つけた。

 

はい、墓地の中でした(笑)

これはわからん。

 

『新坂東第二十三番霊場』とあるのだが…

 

このように完全封印されており(笑)、骨折り損でした。

まぁ23番めの霊場らしいから、とりあえず頭を下げてきた(笑)

 

帰りに少し足を伸ばし、道の駅で休憩。

 

女房の好きなおかきとお豆をおみやげに買った(笑)

 

さらに寄り道して江戸川に来た(笑)

『◯月のワークアウト』などと称して、あの暑い中をせっせとR3で江戸川を走っていたのが、夢のようだ(笑)

 

スマートウオッチで計測した結果。

地元の人以外、どこを走ってきたのか、さっぱりわかるまい。

(-ι- ) クックックッ…

 

それにしても、なぜこんなに馬頭観音の石刻があるのだろうか。

 

馬頭観音の石仏・石碑
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近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった。これに伴い馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音が多く祀られ、動物への供養塔としての意味合いが強くなっていった。特に、このような例は中馬街道などで見られる。なお、「馬頭観世音」の文字だけ彫られた石碑は、多くが愛馬への供養として祀られたものである。また、千葉県では馬に跨った馬頭観音像が多く見られる。

 

Wikipediaには ↑ こんな記事があった。

 

なるほど。

粕壁(春日部)宿は日光街道の宿場町であり、このあたりの中心地でもあったので、荷を積んだ多くの商人や荷役馬が行き交ったことだろう。

当然、病没するなど、この地で命を落とす馬も多かっただろうことから、その供養として馬頭観音の石刻が残されたということか。

 

二体めや三体めの石刻のように、小さな小さな、ドラえもんの『石ころぼうし』のように、誰からも見向きもされない石刻ではあるが、愛馬を悼み、供養した人の心が摩耗しつつも今に残されている。

大いに働いたのであろう馬たちの冥福を祈ります。